『コライ 4』1941年~1944年・アテネ暗黒の時代の歴史的遺構

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ギリシャの政治経済・観光の中心地であり、世界各国から訪れる者が絶えないアテネの国会議事堂から徒歩わずか数分の街角に、第二次世界大戦の歴史的遺構である『コライ 4(コライ通り4番地)』―ドイツ占領時代の地下収容所であり、数千人のギリシャを始め、主としてイタリア人の反ファシスト派の人々が拘留・拷問された―が今に遺されている。
ナチスドイツの軍隊によってここに囚われた市民は、食料も水も与えられず、強制労働または処刑の決定を受けるため、ドイツの軍法会議に送られるか、刑務所または強制収容所に移送されるのをただひたすら待つことしかできなかったという。
「コライ 4」の建物。現在建物の1階にはカフェや映画館が軒を連ねる
この建物は1891年(明治24)ギリシャ国立銀行によって設立された国民保険会社(エスニキ・アスファリスティキ)が所有する建物で、国民保険会社は1938年(昭和13)に現在のコライ通り4番地のこの建物に移転した。
移転後程なくしておとずれたナチスドイツのアテネ占領時、この建物はドイツ軍によって接収され、ここにはドイツ軍の駐屯地(Kommandantur)が置かれたが、建物の地中深くに防空壕として建設された地下室は頑丈な鉄扉と優れた断熱性を備えていたことから収容所として利用された。
1991年(平成3)には建物地下の収容所が保存されることが決定。「歴史記憶地区 1941-1944(

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