© GreeceJapan.com/2022年9月
この建物はギリシャ・アテネのプラカ地区で最も有名な通りの一つ、キダシネオン通り27番地(Οδός Κυδαθηναίων 27)にあります。プラカを歩いたことがある方は、きっとその前を通り過ぎたことでしょう。現在外周中央の扉は、隣接する土産物店の商品で覆いつくされています。
かつて栄華を極めたこの豪邸は、ギリシャの外交官で医師でもあり、ギリシャのロシア総領事を務めたイオアニス・パパリゴプロス (1780-1874) の住居でした。この住居には、初代ギリシャ国王のオソン1世が初めてギリシャを訪れた時滞在したといいます。1830年代には、ロシア大使であった別のギリシャ人が住み、ロシア大使館として使用されていました。
それから何年もの年月が過ぎた後の1970年代、この場所にはギリシャ初(アテネでも初)の日本食レストラン・Mitsikoがミチコ夫人によって開店されました。プラカを歩くギリシャ人は、入り口の提灯と厨房からのエキゾチックな匂いに感銘を受けていたといいます。多くのギリシャ人や観光客がここで日本料理に舌鼓を打ちました。その後ミチコ夫人の娘が、残念ながら2017年に閉店した別の歴史ある日本料理店・風林火山をシンタグマに開店させました。
時が爪痕を残すのみとなった今日、廃墟となった家は歴史の静かな証人としてたたずんでいます。
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