マルクスの巨大な顔面がエモすぎる。ある意味の「映え」が知的興味をそそるドイツの工業都市を発見

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歴史的建造物と旧ソ連風の集合住宅が共存する
ケムニッツの中心部にあるオペラハウス。第二次世界大戦の空爆で壊れたものの再建。東西ドイツ時代には、東ドイツで最もユニークなシアターと評価された
恐らく、日本人のほとんどがケムニッツの地名を知らないはずです。もちろん筆者も知りませんでした。
国際政治に詳しい人であれば、2018年(平成30年)に発生した極右デモと対抗デモの衝突のニュースを覚えているかもしれません。
しかし、その話題を記憶している人もきっと少数派のはず。ケムニッツどころか、ケムニッツを含むザクセン州(ドイツの東端)の位置すら分からない人の方が多いのではないでしょうか。
ただ、ドイツがかつて、東西に分かれていた話は有名です。ザクセン州は当時、旧東ドイツ側でした。
 
 
現地ガイドのエーデルトラウト・フーファーさんによれば、州内に流れる川の名前から命名されたケムニッツは東西分裂前、第二次世界大戦中の空爆で、都市の8割近くが焼け野原になったそう。
しかしその後、ソ連(現・ロシア)と固く結び付く東ドイツの一部になり、東ドイツ時代は、同国最大の工業都市の1つになるまで復興を遂げたと『大辞泉』(小学館)にも書かれています。
1953年(昭和28年)5月10日には、カール・マルクス・シュタット(シュタット=市)と改称しました。社会主義のモデル都市として「東側

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